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2022-02-21 記事紹介 「dunhillダンヒル紹介」
1880年、イギリスにて、アルフレッド・ダンヒル(Alfred Dunhill)が「ダンヒル(dunhill)」をスタート。ダンヒル(dunhill)はイギリスのラグジュアリーブランド。スーツから時計、バッグなどのアクセサリーまで幅広く展開している。ダンヒルの商品の多くは「モートリティーズ」という言葉が1つのキーワードとなる。この言葉は自動車(Motoring)と権威(Authorities)を組み合わせた造語で、コンセプトとのような位置づけ。また創業当時のブティック名「モートリティーズ」だった。代々、自動車に関連づけたイメージのアクセサリーや小物の商品を展開し、創業から間もない時期はドライバーを中心に多くの支持を集めて成長した。現在の展開はドライバー用の商品だけではなく、スーツなど幅広く取り扱うが、「モートリティーズ」のコンセプト、精神は現在に至ってもダンヒルのアイテムに影響を与えており、バッグや時計など、さまざまな商品のネーミング、ディテールに関連している。
イギリスで不屈の精神を持った男性の力強さの象徴と言われているブルドック。創業時のブティックで、交通安全のお守りとしてブルドックのマスコットを車の愛好家に販売されていたことから、100年以上過ぎた現在でもダンヒルはブルドックをモチーフとしたアイテムを展開している。
ダンヒルの沿革・歴史
創業者はアルフレッド・ダンヒル(Alfred Dunhill)。1880年代、アルフレッド・ダンヒルが父の働く、馬具用品のの製造卸会社で働き始める。93年に21歳で会社の経営を引き継ぎ、社名を自身の名を冠した「ダンヒル(dunhill)」に変更。ここからダンヒルの歴史が始まった。
自動車の普及に伴い、オープンカーでも使用できるコートやゴークル、レザー製品の小物などを取り扱い、大きな成功を収める。その後、ライターなどタバコ関連の製品の販売を始める。その後、販売された、タバコ、葉巻、パイプなどは現在に至るまで有名な製品となっている。
1920年代、タバコの規制を伴い、ブランドの中心をレザー製品に戻す。その他、30年代には万年筆、化粧品関連の製品の販売をスタートしてヒットさせた。このときには皇室ご用達のブランドにまで成長していた。67年、タバコ系の企業(Carreras Tobacco Company)に買収さる。ダンヒルはその後、カルティエ、クロエ、IWCなど多くのファッションブランドを傘下に置くリシュモングループに買収されている。
1969年イギリス、エリザベス女王からブランド製品の輸出実績が評価されて表彰を受ける。
92年、ハケット ロンドンを買収。
現在は紳士服を中心にしたメンズスーツ、ネクタイ、カフスなどを中心に、バッグ、ベルト、財布、時計、名刺入れなどの、アクセサリー関連も製品も取り扱う、トータルブランドにまで成長した。香水は、アメリカのP&Gにライセンスの提供をして、「ダンヒル」ブランドで販売されている。時計部門はトム・ボルトがクリエイティブ・ディレクターを担当。
2000年、サッカー日本代表のオフィシャルスーツの提供をスタート。以後、このスポンサーシップは10年以上に渡って続いている。2007年秋冬コレクションは、映画俳優のジュード・ロウを起用し、紳士的なスタイリングで話題となる。
2008年、キム ジョーンズがクリエイティブディレクターに就任することが決定。
以後、退任する2011年春夏コレクションまでメンズウェアとレザーアクセサリーのデザインを統括する。2011年秋冬シーズン、ロンドン・ファッション・ウォークに参加して話題を集める。2014-15年秋冬から2016年秋冬シーズンまで、ジョンレイ(John Ray)がダンヒルのクリエイティブ ディレクターを担当。
2016年、ダンヒルの直営ブティック、大阪・心斎橋にオープン。
2017年、ダンヒルのクリエイティブ ディレクターにマーク・ウェストンが就任。
ウェストンは、バーバリーにおいてメンズウェアのシニアバイスプレジデントだった。
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2022-02-16 記事紹介 CGUCCI紹介
1921年、グッチオ・グッチがフィレンツェにレザーグッズを取り扱うファクトリーとショップをオープン。
グッチ(GUCCI)はイタリアのラグジュアリーブランド。創設者のグッチオ・グッチ(Guccio Gucci)は1881年、イタリアの、フィレンツェに生まれる。1921年、フィレンツェにレザーグッズ専門のファクトリーとショップをオープン。数年間で成功を収め、1973年には工房を拡張。ホースビットなど乗馬の世界からインスパイアされたアイコンを発案し、グッチというファッションハウスと革新を続ける設計美学の永遠のシンボルとなる。フィレンツェで休暇中の海外からの洗練された顧客がグッチの工房を訪れ、乗馬から着想を得た数々のバッグ、トランク、手袋、靴、ベルトを購入した。
1953年、グッチオ・グッチがこの世を去り、彼の息子たちが事業を継承。50年代、グッチは再び乗馬から着想を得て、鞍の腹帯に由来する「緑-赤-緑」の織物を発案。ブランドに欠かせないトレードマークとなる。また、イタリアのブランドとしては初めてニューヨークにショップをオープン。アメリカに上陸した。60年代半ばには、伝説的な二重のGロゴを採用し、それが新たなグッチのシンボルとなった。この時期に登場したホースビット金具のついたクラシックモカシンは、ニューヨークのメトロポリタン美術館のコスチューム・インスティテュートでの永久所蔵品となっている。そのほか、インターロッキングG、クレストなどアイコニックなモチーフの新たな解釈とデザインを探求。1970年代に既製服(ウィメンズウェア)、香水を発表し、ブランドのラインナップを増やしていく。また、60年代から70年代にかけては、グッチは、グローバル展開を続け、ロンドン、パリ、東京などにショップをオープンしていった。1981年にグッチはフィレンツェで、初めてのランウェイショーを開催。1982年に公開会社となる。
1987年、バーレーンの投資会社インベストコープがグッチの株を取得を開始し、
1990年初頭には全株式を保有。1990年、トム フォードをウィメンズのデザイナーに抜擢。1994年、トム フォードがクリエイティブ・ディレクターに就任。フォードはグッチに大胆さとセクシーさを吹き込み、モードの世界で大きな注目を集めた。スティレットやメタリックの金具装飾のついたシルクカットアウトのジャージードレスが、フォード独特のアイコンデザインとして認知された。
1995年、ドメニコ・デ・ソーレがCEOに就任。フォードのデザイン、デ・ソーレの手腕もあり、大きな成功を収めた。1999年、フランスの流通・ラグジュアリーグッズにおける大手PPR社(現ケリング社)と戦略的提携により、グッチ グループとなる。その後数年間で、セルジオ ロッシ、ブシュロン、イヴ・サンローラン、アレキサンダー・マックイーン、バレンシアガ、ボッテガ ヴェネタをグループに獲得。2002年には、グッチ グループからステラ マッカートニーがデビュー。約10年間に渡り大活躍したフォードだったが、2004年に退任した。また、同年、グッチ グループはPPRの子会社となる。フォードの後任として、ウィメンズウェアコレクションのクリエイティブ・ディレクターに、アレッサンドラ・ファッキネッティが就任。メンズウェアはジョン・レイが、アクセサリーはフリーダ・ジャンニーニが引き継いだ。 
その後、ファッキネッティ、ジョン・レイが辞任し、ジャンニーニが、2006年より、グッチのウィメンズ・メンズコレクション、アクセサリーのすべてを手がけることになった。過去と現在、そして歴史とモダンさを融合させた独自のビジョンを生み出し高く評価されている。ジャンニーニの功績で「フローラ」プリントが蘇り、バッグ、シューズ、ウォッチといったアクセサリーに反映され、ヒット商品となった。
2015年1月、クリエイティブ・ディレクターのフリーダ・ジャンニーニの退任。また同時に、パトリツィオ・ディ・マルコCEOも同月に退任した。新しいCEOには、ボッテガ・ヴェネタのマルコ・ビッザーリ(Marco Bizzarri)が起用された。
同年1月に発表された、2015-16年メンズコレクションはアレッサンドロ・ミケーレ率いるデザインチームが担当。その後、正式にアレッサンドロ・ミケーレがクリエイティブ・ディレクターに就任した。2017年、ウィメンズとメンズのファッションショーを統合。2018年1月、イタリア・フィレンツェのメルカンツィア宮殿内に「グッチ ガーデン(GUCCIGarden)」をオープン。グッチが創設された1921年から現在に至るまでの幅広いコレクションを、 それぞれの時代を象徴するオブジェや写真、ビデオなどと融合して展示する特別な施設だ。
2018年11月、コム デ ギャルソンとコラボレーション。コム デ ギャルソンのPVCバッグをベースに、グッチのグリーン・レッド・グリーンのウェブ ストライプを配した、メイドインジャパンのバッグを発売。日本では、発売後すぐに完売となった。
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2022-02-15 記事紹介 ポール・スミス×ポーター ストライプのバックや ウォレットなど発売
FASHIONSNAPニュース 2022年02月14日 14:59 JST
「ポール・スミス(Paul Smith)」が、「ポーター(PORTER)」とコラボレーションしたバッグやウォレットを2月16日に発売する。ポール・スミス公式オンラインショップ、ポール・スミスやポーターの一部店舗、吉田カバン公式オンラインストアなどで取り扱う。
 今回、素材には、ポーターを代表するボンディング加工を施した軽量でソフトな質感のナイロンツイルを使用。デザインには、大自然を表現したグリーンとブルーのストライプや、朝焼けの空をイメージしたミッドナイトブラック、ホワイト、レッドのストライプを採用し、ポール・スミスの象徴的な色使いや柄を落とし込んだ。バッグのフロントにはコラボの証として、「ポール・スミス」と「ポーター」のロゴが施されている。
 アイテムは、ダッフルバッグ(5万2800円)、バックパック(3万4210円)、ヘルメットバッグ(3万1900円)、ショルダーバッグ(2万8270円)、バーティカルショルダーバッグ(2万1670円)、ウォレット(1万2100円/いずれも税込)をラインナップする。
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2022-02-14 記事紹介 トリー バーチ紹介
2004年にトリー・バーチが設立。
トリー バーチ(TORY BURCH)は、さまざまな感覚を取り入れたクラシックなアメリカンスポーツウエアを展開するラグジュアリー・ライフスタイル・ブランド。バッグ、シューズ、ジュエリーなど幅広く展開している。日本ではシューズが人気。
創業者でありデザイナーであるトリー・バーチにとって、ファッションにおいてこれまでなかったもの、つまり、あらゆる年代の女性のためにスタイリッシュで気軽に着られるブランドを手の届く価格で作り出している。トリー バーチは2004年2月に誕生からアメリカ、ヨーロッパ、アジア、中東に60の独立店舗を持ち、世界各地のデパートや専門店に1000店舗以上を展開している。2015年9月にスポーツが持つ優雅さを表現したパフォーマンスアクティブウェアブランド「トリー スポーツ」を設立。女性のあらゆる人生の側面において力を与えるスポーツが果たす役割と、競技の美しさを反映するために作られている。2017年10月に日本初上陸。
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2022-02-12 記事紹介 FURLA紹介
フルラの起源は1927年、アルド・フルラネットがレザー関連のビジネスをスタートさせたことによる。ブランドとしてのフルラは70年代にスタートした。
フルラ(FURLA)は、1927年に皮革業に精通した実業家アルド・フルラネット(Aldo Furlanetto)がアクセサリー関連のレザーを扱った企業を創業したことに由来。その後ブランドを立ち上げ、現在でもイタリア特有の家族経営ブランドとして人気を誇っている。
1955年に、ボローニャに小さなショップ(後のFURLA1号店)をオープンし、レザーグッズなどの販売をスタート。70年代初頭にブランド、「フルラ」をスタートし、イタリア国内に販売網を広げる。80年代には海外にも進出。以後、イタリアの皮革職人が、伝統的な技と最高の素材を駆使して作るコレクションが人気で、フェミニンな雰囲気に、エレガンスさと程よいカジュアル感が備わっている。また品質の割りに4~7万円が中心の価格帯で、お手ごろ感があることも魅力。(デザインは全く異なるがこのあたりはアメリカのバッグブランド、COACHと似ている。)
2002年にはDeRigoVisionとライセンス契約を結び、サングラスラインを発表。
2002年、日本の銀座4丁目に路面店をオープン。2006年にはシチズンとコラボレーションでウォッチ部門の展開をスタートさせた。同年、インテルとのコラボで女性向けPCバッグ「クラシック」を発表。2009年、「不思議の国のアリス」からインスピレーションを受けたコレクションを発売。バッグ、財布、時計といったアクセサリーを中心に靴も展開するコレクションを発表する一方、デザイナーや企業とのコラボレーションもよく発表している。若手アーティストの支援も積極的に行い、99年から始めた芸術賞「フルラ・ペル・ラルテ」は、若手アーティストの登竜門となっている。その他、インテルと共同で女性向けパソコンバッグを限定販売するなど、さまざまな取り組みを行っている。2017年、エコファーのみの使用を断言した「ファーフリー宣言」を発表。2020年クルーズコレクションより、モヘアとアンゴラなどの羊毛繊維の使用を禁止。代替として羊毛のみの使用へと切り替える。
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2022-02-11 記事紹介 ルイ・ヴィトン、フルーツモチーフの 新作メンズアクセサリーが登場
FASHIONSNAPニュース 2022年02月11日 15:00 JST
「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」が、2022年春夏メンズコレクションからフルーツモチーフの新作アクセサリーを発売した。ルイ・ヴィトンの一部直営店と公式オンラインストアで取り扱っている。
 新作アクセサリーは、モノグラム・キャンバスを用いたバッグチャーム兼キーホルダー「ポルト クレ・LVレモン」(7万3700円)やブレスレット「ブラスレ・ハング イット LVフルーツ」(5万6100円)、レザーの葉をデザインした「オランジュ・ポーチ」(16万2800円)をラインナップ。このほか、エナメルにモノグラム・パターンをあしらった「ペンダント・LVフルーツ ストロベリー」(9万1300円)や、エナメルとメタルパーツで仕上げたリング「バーグ・LVフルーツ アップル」(8万2500円/いずれも税込)を揃える。
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2022-02-10 記事紹介 ロエベ紹介
1846年、エンリケ・ロエベ・ロスバーグがマドリードに工房を開業。1872年にブランドとして設立。ロエベ(LOEWE)は、スペインのラグジュアリーブランド。19世紀中ごろドイツ生まれの皮革職人のエンリケ・ロエベ・ロスバーグが皮革製品の大国、スペインへ行き、シルクのような上質の革と出合ったことに始まる。この革のとりことなったエンリケ・ロエベは1846年、マドリードに工房を開始した。当初は革の長椅子などを手がけていた。ブランドとしての設立は1872年。主に貴族や富豪による革製の宝石箱など小回りの利く箱の製作で評判となり有名になる、後に革製の袋(バッグ)やトランクに進出。スペイン王室御用達で良質な革、Lの文字のモノグラムで有名。素材(品質)へのこだわりが強く、超高品質な革製品を使用。
仔羊皮をなめしたナッパ素材を使用し、実際に使用するのはわずか数パーセントほどだと言う。
1980年代、チェザーレファブリを中心にプレタポルテがスタート。カール ラガーフェルド、ジョルジオ・アルマーニらがデザインに関わったとされているが、この時期ロエベはプレタポルテに力を入れておらず不明瞭な紹介が多く、この時期のプレタポルテに関してははっきりとした情報がない。1985年、ルイ・ヴィトン社と提携し、1996年、LVMHの傘下に入る。LVMHの参加にはいることで大きく変わったことは、ロエベが上流階級に多くの支持を得るブランドから中流階級にまで支持をえるブランドになったこと。具体的には、あまり有名ではなかったロエベのプレタポルテタ部門に新鋭デザイナーを起用してゆく。
この時期から服(アパレル)にも力を入れだし、20%未満だったレディースプレタポルテの売上が上昇。1998-1999A/Wからナルシソ ロドリゲス、2002-2003 A/Wよりホセ エンリケ オナ セルファがクリエイティヴ・ディレクターに就任している。ホセ エンリケ オナ セルファが情熱的なファッションをプレタポルテコレクションで発表してブランドはさらに拡大。2008年S/Sを最後にホセ エンリケ オナ セルファが辞任。後任には、ジバンシィ、ルイヴィトンを経て、マルベリーのデザイン・ディレクターを経験し、バッグのデザインに定評があるスチュアート・ヴィヴァースが就任。2013年、クリエイティブ・ディレクターに、英国人デザイナーのジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)が就任。2015年春夏メンズコレクションより担当している。
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2022-02-09 記事紹介 スノボ銀メダリストの「プラダ」のボードが話題  ショーン・ホワイトは「ルイ・ヴィトン」の特注ケース
WWDニュース (LAYLA ILCHI 訳・ 井口恭子)
北京冬季オリンピック・パラリンピックで、スノーボード女子スロープスタイルで銀メダルに輝いた米国のジュリア・マリノ(Julia Marino)選手が使用した「プラダ(PRADA)」のスノーボードが注目を集めている。
 このスノーボードは、赤いラインが特徴的な「プラダ」のスポーツライン“リネア・ロッサ(LINEA ROSSA)”の2021-22年秋冬コレクションのもの。同ブランドのオンラインストアで販売されており、価格は3600ドル(約41万円)。一般に、アスリートはスポーツブランドによるギアを使用することが多いが、マリノ選手は同コレクションのキャンペーンモデルに起用されていることから、今回の選択になったと思われる。
「ホワイトスペース」の公式インスタグラム(@whitespace_create)より また、スノーボード男子ハーフパイプで通算3個の五輪金メダルを獲得しているショーン・ホワイト(Shaun White)選手は、自身のスノーボードブランド「ホワイトスペース(WHITESPACE)」と「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」が、カスタムオーダーのラゲージセットを製作したことを自身やブランドのインスタグラムで発表した。これは故ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)「ルイ・ヴィトン」メンズ・アーティスティック・ディレクターとホワイト選手が友人だったことから実現したもので、ブランド設立にあたってもヴァージルの助言を受けたという。
「ホワイトスペース」によれば、「ルイ・ヴィトン」は今回初めてスノーボードケースやギター用のハードケースを手掛けたとのこと。なお、ホワイト選手は5日、北京五輪を最後に現役を引退すると表明した。
 北京五輪ではさまざまなブランドが各国代表団の公式ウエアやユニホームをデザインしており、米国は「ラルフ ローレン(RALPH LAUREN)」、カナダは「ルルレモン(LULULEMON)」、ドイツは「アディダス(ADIDAS)」、英国は「ベン シャーマン(BEN SHERMAN)」、スウェーデンは「ユニクロ(UNIQLO)」、日本は「デサント」が担当している。
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2022-02-08 記事紹介 プラダが展覧会「ロール プレイ」を青山店で開催、 メリッサ・ハリス・ペリーがキュレーション
FASHIONSNAPニュース
「プラダ(PRADA)」が、大学教授や作家として活動するメリッサ・ハリス・ペリー(Melissa
Harris-Perry)がキュレーションを手掛けた展覧会「ロール プレイ(Role Play)」をプラダ青山店で開催する。会期は3月11日から6月20日まで。
 ロール プレイは、代替可能かつ理想化されたアイデンティティを模索や投影などを通して作り上げる概念について探求する企画。ロールプレイングや分身の創造、自己の拡散を切り口に制作されたアーティストの作品を展示することで、個人の本質や表向きの人格について問いかけるという。
 会場ではジュノ・カリプソ(Juno Calypso)や、ベアトリーチェ・マルキ(Beatrice Marchi)、ハルカ・サカグチ、グリセルダ・サン・マルティン(Griselda San Martin)、澤田知子、ボゴシ・セクフニ(Bogosi Sekhukhuni)といった国際的に活躍するアーティストの作品を展示。ベアトリーチェ・マルキが自身の分身であるケイティに焦点を当てたオーディオ作品「NeverBe My Friend」(2014)、ハルカ・サカグチとグリセルダ・サン・マルティンが米国のエンターテインメントや映画業界における多様性の欠如を訴えた風刺的なポートレート「Typecast」(2019)、衣装やカツラ、化粧によって異なる30人のキャラクターを表現した澤田知子の写真シリーズ「OMIAI♡」(2001)などが並ぶ。各アーティストの作品は、クリエイティブエージェンシーのRandom Studioが手掛けた光のインスタレーションの中で展示される。
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2022-02-07 記事紹介 「ルイ・ヴィトン」が“7”モチーフの新作バッグ  ヴァージルの7シーズン目にオマージュ
WWDニュース
「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」はこのほど、“7”の文字をモチーフとしたメンズの新作バッグコレクションをオンラインストアなどで発売した。
 バッグは、故ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)=メンズ アーティスティック・ディレクターの7シーズン目となる2022年春夏メンズ・コレクションにオマージュを捧げたもの。“モノグラム・キャンバス”やLVのイニシャル、“N°7”の文字をあしらっている。
 新作は、コンパクトサイズながら必需品を収納できる機能性の高いバッグをそろえた。
1905年にリムジン用にデザインした“丸型ドライバーズ・トランク”から着想を得た“ホイール・ボックス”(税込39万1600円)、トラベルラゲージを日常使い用にアレンジした“ハンドル・ソフトトランク”(同46万9700円)や“ヴェルティカル・ボックス トランク”(同36万7400円)、ブルーやグリーンの色使いが印象的な“ソフトトランク・ウォレット”(同29万4800円)、“ポシェット・ヴォワヤージュ MM”(同13万8600円)の5アイテムをラインアップする。
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2022-02-06 記事紹介 コム デ ギャルソン紹介
1969年に川久保玲がブランド「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」をスタート。
1973年に株式会社コム デ ギャルソンを設立。
ギャルソンのスタイルは、社会に流されることのない、自立した女性像をデザインに落とし込んだもので、従来型の女性らしさのない、ルーズなシルエットに黒などモノトーンな色を多様、孤高の女性を描いた。また顧客向けにビジュアル誌を発行するなど、顧客とのコミュニケーションも独特で、広告や写真に登場するモデルはカメラを睨み付けるような表情だった。このようなスタイルが一部から熱狂的な支持を得て、80年代には、黒の服におかっぱ頭の女性が街中を歩き、「カラス族」と言われるスタイルを生み出した。
コム デ ギャルソンのアバンギャルドで独特なファッションはマルタン マルジェラ、A.F.ヴァンデヴォーストをはじめとするアントワープ派のデザイナー、ジョン ガリアーノ、ヴィクター&ロルフ等の外国人デザイナーにも大きな影響を与える。世界でもっとも影響力のあるデザイナーランキングでは川久保玲はトップ5の常連となっている。
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2022-02-05 記事紹介 「ケンゾー」からNIGO®が手掛ける初のカプセルコレクション 発売、コーチジャケットなど
FASHIONSNAPニュース 2022年02月04日 23:41 JST
「ケンゾー(KENZO)」が、新アーティスティックディレクターのNIGO®が初めて手掛ける2022年春夏限定カプセルコレクションを発売する。コレクションは第3弾まで予定しており、第1弾を2月5日から展開。阪急うめだや、阪急メンズ大阪、ドーバー ストリート マーケット ギンザといった限定ストアと公式オンラインストアで取り扱う。

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NIGO®が「KENZO」のアーティスティックディレクターに就任
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カプセルコレクションは、メゾンにおけるNIGO®の実践の根底にある哲学と、過去の知恵に紐づいた未来へ向けた真のワードローブを体現しており、創業デザイナーの髙田賢三に敬意を表し自然の要素を主軸として展開。第1弾アイテムでは、2月に咲く日本の花のボケ(木瓜)をモチーフにした赤色のボケフラワーグラフィックを、NIGO®が制作した新しいブランドロゴ共にデザインした。ネイビーのコーチジャケット(11万7700円)や、クルーネックのスウェットシャツ(5万2800円)、ジャージーカーディガン(6万3800円)、長袖Tシャツ(3万4100円)、オーバーサイズフーディー(6万3800円)、グルカ兵から着想を得て日本のコットンツイル生地で製作したカーゴパンツ(7万400円)、スカート(6万3800円)、ブランケット(4万7300円/すべて税込)を展開する。
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2022-02-04 記事紹介 ドルチェ&ガッバーナ紹介
ドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッバーナが設立。1985年、ミラノコレクションにデビュー。ドルチェ&ガッバーナはイタリアのラグジュアリーブランド。ドルチェ&ガッバーナのデザインのインスピレーションには「シチリアの強い女」がある。それはセクシーで強い女性像であり、これがドルチェ&ガッバーナのセクシーなデザインへとリンクしている。セクシーなデザインに加えて、その軽やかでシンプルなデザインは世界中で多くの支持を得ている。
ブランドが打ち出しているコンセプトは「自由の肯定形。偽りのない表現に、かつてになく都会的な感性が加えられ、型にとらわれずそこから脱却した洗練のスタイル。」アニマル系のプリント柄、トラッドスタイルの紳士服(マニッシュなスタイル)からインスピレーションを受けたテーラードスーツ、フォークロア調のデザインなどをアレンジ、さらに必要に応じて、ミラー加工素材など独特な素材を使用。またクラッシュ加工などを施し、メンズ・レディーズ問わず、セクシーに表現する。
衣服だけではなく、バッグ、財布、ベルト、靴とさまざまな分野へとラインナップを増やし、どの分野でも強い支持を得ている。
ドルチェ&ガッバーナの沿革・歴史
ドメニコ・ドルチェ(Domenico Dolce)は、1958年8月13日、イタリアのシチリア島に生まれる。
父はシチリアで縫製工場を経営していた。幼い頃から服飾デザインの基礎を学ぶ。マランゴーニ・ファッション学園出身。
ステファノ・ガバーナ(Stefano Gabbana)は 1962年11月14日、イタリアのヴェニスに生まれる。
マランゴーニ・ファッション学園出身。グラフィックアートを学び広告代理店に勤めた経験がある。
ドメニコ・ドルチェとステファノ・ガバーナは80年、ミラノのファッションデザイナーのスタジオで働いている時に出会う。
82年、ミラノの中心部にオフィスを構える。85年、ミラノでレディースコレクションを発表。
87年にニットウェアコレクション「ル・マグル・ディ・ドルチェ&ガッバーナ」を、89年にランジェリーとビーチウェアを、90年にメンズウェアを発表。 また、90年、ミラノにレディースのオンリーショップを、91年にはメンズのショップをオープン。
94年、セカンドライン「D&G」を発表。96年にはニューヨーク・コレクションにも参加。
2008年、ダイアン フォン ファステンバーグ、オスカー デ ラ レンタなどとiGoogleのアーティストコラボレーションに参加した。
2012年春夏コレクションでブランド「D&G」を終了し、「ドルチェ& ガッバーナ」に集約した。
2014年12月、ニューヨークの映像博物館にて、ドメニコ・ドルチェ、ステファノ・ガッバーナが第3回「La Fondazione NY」で特別賞を受賞。
2020年3月、アイウェアの製造から販売まで行う業界最大手のルティックスオティカグループと、サングラスや眼鏡フレームの開発生産、販売に関する独占ライセンス契約を締結。
2022年以降、すべてのコレクションにおいて動物の毛皮の使用を廃止。一方で、毛皮加工職人の仕事とプロ意識を守り、ものづくりに欠かせない知識やスキルを次世代に受け継ぐため、リサイクル素材や再利用可能な素材を使用したフェイクファーの代替品として、エコファーのアイテムやアクセサリーの製作を通じ、職人たちとのコラボレーションを継続する。
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2022-02-03 記事紹介 「モンクレール」がバレンタインに向けてカプセルコレク ションを発売
WWDニュース 2022/02/03(三澤 和也氏)
「モンクレール(MONCLER)」はこのほど、バレンタインに向けたカプセルコレクションを発売した。ブラック&ホワイトで構成され、Tシャツが税込3万2000円、パーカが8万4000円など。
 機能性にも富み、例えばリバーシブルアウターの“エトルタ”(税込16万4000円)は、高密度で柔らかく、防水性と形状記憶性を備えるポリエステル製のマイクロギャバジンを使用する。背面にはポップに“LOVE MONCLER”のプリントを施し、ポイントとして赤の「モンクレール」ロゴもあしらう。
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2022-02-02 記事紹介 「フェンディ」はSFの世界と歴史あるローマを融合  ファッションの最高峰、22年春夏オートクチュールVol.3
WWDジャパン欧州通信員 JUN YABUNO氏
「フェンディ(FENDI)」は最終日、キム・ジョーンズ(Kim Jones)のウィメンズ・アーティスティック・ディレクター就任以来初となるオートクチュール・コレクションのリアルショーを開催した。その舞台となったのは、パレ・ブロンニャール(旧証券取引所)。真っ黒な会場内には、ライトが光る惑星のような球体とメタルフレームで表現されたアーチの輪郭が浮かび、地上には大きなダブルFのロゴが光る。それは、SF映画の未来的な世界観と古代ローマのイメージが融合した神殿のような空間だ。
今季もクリエイションのベースにあるのは、「フェンディ」の拠点であるローマ。歴史ある街を出発点にしながら、「スターウォーズ(STAR WARS)」や「デューン(DUNE)」からヒントを得た異世界的な文脈を交えることで、モダンかつクールに仕上げている。ミニマルなシルエットのミンクケープや丸い肩のラインが特徴的なベルベットドレスには、明暗の対比を生かす“キアロスクーロ”という手法で、本社を構えるイタリア文明宮にある古典主義の彫刻をハンドペイント。フロアレングスのコラムドレスやケープのようなディテールを加えたミニドレスには、同色のビーズやスパンコール、パール、ファーを用いて、古代ギリシャやローマの柱に見られるコリント式のレリーフをあしらっている。また、先シーズンも見られたような、過去を引用したプリントの上にさらに装飾を重ねる手法も見られる。
 ペルシャラムとレザーのショートジャケットにレザーパンツを合わせたルックは勇敢な戦士の趣で、ビーズ刺しゅうのラインやドレープが美しく流れるドレスは女神のよう。
ジョン・ホプキンス(John Hopkins)による「エメラルド・ラッシュ(Emerald Rush)」の電子音と重低音が響き渡る中、煙と光の中から現れるモデルは、神々しく力強い。イブニングが軸になっているが、ミニ丈の提案が多いのは新世代の顧客のニーズを取り入れているようで、現代的に映る。
 「フェンディ」はキム参画後の2シーズン、美しくロマンチックな映像をデジタルで配信し、オートクチュールを発表してきた。それは、スローモーションやさまざまなアングルからのカットを効果的に取り入れており、コレクションにエモーショナルな要素をもたらすだけでなく、細かい部分までを見せることができるものだった。今回のショーで、そんな映像と同じように客席からすべてのディテールがハッキリと見えたかというと、そうではない。しかし、オープニングからフィナーレまでゾクゾクが止まらないような感覚はデジタルには変え難いと実感するショーだった。
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2022-02-01 記事紹介 ドルチェ&ガッバーナがファーフリー宣言、動物の毛皮の 使用を廃止
FASHIONSNAPニュース 2022年01月31日 18:00 JST
「ドルチェ&ガッバーナ(Dolce&Gabbana)」が、2022年以降すべてのコレクションにおいて動物の毛皮の使用を廃止することを発表した。
  ドルチェ&ガッバーナは今後、動物の毛皮の使用を廃止し、エコファーのアイテムやアクセサリーを製作していく。また、エコファーアイテムの製作を通じて、毛皮加工職人とのコラボレーションを継続させ、職人の知識やスキルを次世代に受け継いでいくという。
 同社のコミュニケーション・マーケティング最高責任者Fedele Usaiは「ドルチェ&ガッバーナは、動物の毛皮の使用しない、持続可能な未来を目指しています。革新的な素材をコレクションに取り入れ、環境に配慮した生産プロセスを開発すると同時に、衰退の危機に瀕している職人の仕事とノウハウを次世代に引き継いでいきたいと思います」とコメントしている。
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2022-01-31 記事紹介 「トッズ」がバレンタインデーを祝した“ハート入り” スニーカーを発売
WWDニュース 2022/01/30(竹内 菜奈氏)
「トッズ(TOD'S)」は、定番モデル“トッズ タブズ スニーカー”からバレンタイデーに向けた新作シューズを2月4日に一部のトッズ ストアと公式オンラインストアで発売する。
 スニーカーは、ウィメンズ(税込8万300円)とメンズ(同8万6900円)ともに1型ずつ用意する。ウィメンズはかかと部分にハートモチーフを大胆に飾り、シュータンにはゴールドのロゴを用いた。メンズはソールにグラフィックを描き、アクセントを加えた。いずれもバレンタインデーらしい赤と白を基調にし、インソールに配した手書き風の文字“With Love”が目を引くデザインだ。
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2022-01-30 記事紹介 Bally紹介
1851年、スイスのシエネレベルト(シェーネンヴェル)でカール・フランツ・バリー(Carl Franz Bally)が創業。
バリー(Bally)はスイスのファッションブランド。シューズやレザーグッズ(バッグ、財布、グローブ)を中心に、アパレル、アイウェアなどトータルで発表。洗練されたクラシックなアイテムから、色鮮やかで大胆なディテールを取り入れたモダンなアイテムまで展開している。
白と赤、白と黒など2色のラインを配置したデザインがトレードマーク。バリーの沿革・歴史
1851年にカール・フランツ・バリーは、弟とともに「Bally&Co」を設立。ゴム製リボンとサスペンダーの製造業を引き継ぐ形でリボンメーカーから開始。パリに出張した際に見たパリジェンヌの靴に魅了され、靴の開発をスタートさせる。その後、工場設立、スチーム機の導入などに始まる生産ライン確立と着々と規模を拡大し、1870年代には、アメリカやイギリスの最新の技術を取り入れ、製造工程の効率化に成功。効率的な生産のみならず、素材の品質と、洗練されたデザインでバリーの靴は、高級品として取り扱われた。その後、イギリス、フランス、ドイツなどヨーロッパ各地に進出。この頃には年間で200万足を生産するまでに成長した。1900年代、レジャーなどの普及もあり、機能性の高い、パンプスがスポーツウェアとの組み合わせで、人気となる。
1907年株式公開。
その後、2度の大戦と世界恐慌をは挟んで、打撃を受けるものの、スポーツテイストの機能的な靴でさまざまな場所でバリーの靴は用いられ、50年代には、エレガントなメンズのドレスシューズ、「スクリープ」がヒット。この時期、ブランドとしても成長を取り戻す。1976年、服(アパレル)とハンドバックおよびレザー製品のアクセサリーをブランドのラインナップに追加。77年には創業家一族から会社が離れる。88年、日本でバリージャパンが設立。この時期ライセンスの量産でブランドとしての価値がやや低迷(80年代はクリスチャン ディオール、ピエール カルダンなども同様の問題を抱えていた。)
1999年に、世界有数の投資会社テキサス・パシフィックグループが資本参加。2001年新CEOマルコ・フランキーニが就任。インターナショナルデザインチームを結成、「最上の最高の日常着」をテーマに、全世界のイメージを統一、またバッグ、プレタポルテも含めたトータル・ファッション・ブランドへと進んでゆく。バリーは都会的なイメージのブランドへと変わり出す。
2001年にクリエイティブ・ディレクターにサルヴァトーレ フェラガモで経験を積んだスコット・フェローズが就任するも、2002年に辞任。その後、メンズ全般とレディースのプレタポルテはジョン ガリアーノのもとで働いていたLuca Ragonese(Luca Ragoneseは2006年37歳の若さで死去)が就任、レディスアクセサリーはメリッサ・メイッシュが就任した。
2008年秋冬コレクションからブライアン アトウッドがクリエイティブディレクターに就任。(ブライアンアトウッド:ヴェルサーチで靴を中心としたアクセサリーラインを手掛けた後、独立し自身のブランドを立ち上げていた。)2010年4月、アクアスキュータムのヘッドデザイナーを務めたマイケル・ヘルツとグラエム・フィドラーがクリエイティブ・ディレクターに就任。
バリーの伝統を重んじながらもモダンさをプラスしたデザインを打ち出す。2014-15年秋冬コレクションよりデザインディレクターに、セリーヌやトム フォードでキャリア経験のあるパブロ・コッポラを起用。アイウェアなどを含むメンズ・ウィメンズ、全てのコレクションのデザインを担当する。
2016年、世界最大の旗艦店が「東急プラザ銀座」にオープン。
2018年、中国の山東如意(伊藤忠商事の関連会社)がバリーの株式を取得。グループに入ることになった。
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2022-01-29 記事紹介 LVMH、21年度通期はコロナ前から売上2桁増  ルイ・ヴィトンやディオールなど主要ブランドが牽引
FASHIONSNAP 2022年01月28日 13:06 JST
 LVMH モエ ヘネシー・ルイ ヴィトン グループが2021年度の通期業績を発表し、売上高で前年比44%増の642億1500万ユーロ(約8兆2600億円)、純利益で前年から2.6倍の120億3600万ユーロ(約1兆5500億円)となり、増収増益を達成した。新型コロナウイルス感染拡大前の2019年度比では売上高は20%増、純利益は68%増となり、コロナ前の実績を上回った。
 全部門で増収し、売上構成比の約半分を占めるファッション&レザー部門では「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」や「ディオール(DIOR)」「フェンディ(FENDI)」「セリーヌ(CELINE)」「ロエベ(LOEWE)」といったメゾンが牽引。売上高は前年比46%増の308億9600万ユーロ(約3兆9750億円)となり、好成績を収めた。
 ファッション&レザー部門と並んで好調だったウォッチ&ジュエリー部門は、傘下に収めた「ティファニー(TIFFANY&CO.)」のハイジュエリーが過去最高の業績を記録し、前年比では2.7倍と飛躍的な成長を見せた。2022年末にはニューヨーク五番街の旗艦店をリニューアルオープンする予定だという。
 市場別では、米国と日本を除くアジア地域で売上高が2桁増となった。日本は第3四半期(1月〜9月)までは前年を割る状態が続いたが、第4四半期(10月〜12月)は2桁増収した。
2022-01-28 記事紹介 「ルイ・ヴィトン」が神戸店をオープン 日本ならではの 空間デザインに
WWD ニュース 2022/01/27(竹内 菜奈氏)
「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」は、兵庫県の神戸旧居留地に構える「ルイ・ヴィトン神戸 メゾン」を中央区内で移転し、「ルイ・ヴィトン 神戸店」として3月19日にオープンする。
 新店舗は、モノグラムモチーフのガラスを格子柄のように配置した外観が特徴。
3フロアで構成する店内にはウィメンズとメンズのアイテムに加えて、バッグやトラベルラゲージ、時計、ファインジュエリーなど幅広いアイテムをそろえる。
 「ルイ・ヴィトン」にとって神戸は、1983年に2番目の国内直営店として神戸本町店をオープンするなど、長年にわたって関係性を築いてきた都市だ。新店舗ではアートワークやインテリアを通して、日本ならではの空間を楽しむことができる。

■ルイ・ヴィトン 神戸店
オープン日:3月19日
時間:11:00〜20:00
定休日:不定休
住所:兵庫県神戸市中央区明石町44
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2022-01-27 記事紹介 「エルメス」ビューティ部門の新ディレクターに グレゴリス・ピルピリスが就任
FASHIONSNAPニュース 2022年01月26日 12:39 JST
「エルメス(HERMÈS)」のビューティー部門のクリエイティブディレクターに、ギリシャ出身のメイクアップアーティスト グレゴリス・ピルピリス(Gregoris Pyrpylis)が就任した。
エルメスのアーティスティック・ディレクター ピエール=アレクシス・デュマのもとで働くことになる。
 ピルピリスが自身のインスタグラムで「職人技とサヴォアフェールへの愛着を持ち、あらゆる形の美を象徴するメゾンは、まさに創造とクリエイティビティのメゾンと言えるでしょう。
クリエーションと創造のメゾン。これは私が15年前にメイクアップの技術に出合って以来、大切に守ってきた美のビジョンです。新しいエルメス・ファミリーに迎えられたことに大きな感謝を捧げます」と語った。
 ピルピリスはフランスでメイクを学び、「SHISEIDO」などとの取り組みや、2015年には「ビオデルマ(BIODERMA)」のスポークスパーソンに就任し活動。そのほか、セレブリティのメイクアップなども手掛けてきた。
 エルメスのビューティラインは2020年3月にデビュー。商品デザインと開発は、ピエール=アレクシィ・ デュマのほか、ビューティ部門のクリエイティブディレクター ジェローム・トゥロンや、香水のクリエイションディレクター クリスティーヌ・ナジェル、シューズ/ジュエリー部門のクリエイティブディレクター ピエール・アルディなど、メゾンの中で重要なポジションに従事するクリエイターらが参加している。
 スエード素材ヴォー・ドブリスや、牛革のボックスカーフの質感を落とし込んだリップスティック「ルージュ・エルメス」や、馬車の内装やジョッキーのシャツを彩ったピンクのシルクに着想を得たチーク「ローズ・エルメス」、エナメルの鮮やかさや輝きから発想したネイルカラー「レ・マン・エルメス」をラインナップ。メゾンを象徴するエクスリブリスのモチーフをあしらったパッケージなど、小さいながらもサヴォワールフェールを取り入れたアイテムが人気を博している。
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2022-01-26 記事紹介 ジバンシィについて
ジバンシィ(Givenchy)はフランスのラグジュアリーブランド。
創業者はユベール・ド・ジバンシィ(Hubert de Givenchy)。1927年2月21日、パリ郊外のボーヴェ生まれ。古い由緒ある貴族家系出身で父親は公爵の称号を持つ。ロベール・ピゲ、ジャック・ファットのメゾンを経で修行を積み、エルザ スキャパレリのモデリスト兼主任となる。
51年、24歳での初コレクションでは資金面の問題もあり、コットン素材のシンプルなドレスやブラウスを発表。中でもシャツ地で作った開襟、ラッフル袖の「ベッティーナ・ブラウス」は話題を呼ぶ。その斬新なアイデアとシャープな感性が絶賛され、「モードの神童」と呼ばれた。52年2月2日、ジバンシィ社を創立。
54年、オードリー・ヘップバーン主演の映画「麗しのサブリナ」の衣装を手がける。オードリー・ヘップバーンはジバンシィの象徴。女性の体のラインを美しく見せるディオールのニュールックとは対照的で「自由」で体のラインを強調しないスタイル。その他、ジバンシィはペップバーンに「ティファニーで朝食を」「おしゃれ泥棒」などで衣装を提供した。
55年、「自由なライン」として発表したウエストもヒップもないシュミーズドレスが「革命的な衣装」として反響を呼ぶ。
56年、レディースウェアライン「GIVENCHY UNIVERSITY」を発表。62年に香水を発表。72年に男性用化粧品を発表。
1973年、メンズウェアライン「GENTLEMAN GIVENCHY」(99年に「GIVENCHY」に改名)を発表。
87年LVMH社が香水関連の会社パルファム・ジバンシィを買収、翌年の88年にジバンシィ(クチュール)を買収。ユベール・ド・ジバンシィは名誉会長兼芸術部門の責任者として創作活動に専念することになった。
95年、オートクチュール・コレクションを最後にユベール・ド・ジバンシィが引退。後任にはジョン ガリアーノが抜擢される。
96年、ガリアーノはディオールのデザイナーに就任し、後任でアレキサンダー・マックイーンがオートクチュールとプレタポルテの主任デザイナーに就任。2000年春夏よりマックイーンはメンズラインも手がける。彼の手腕により、ジバンシィが再び隆盛期を迎える。しかし、これまでのジバンシィ色はなくなり、マックイーンの色が強くなったことから、プレスからは批判を受けることもあった。マックイーン自身もジバンシィのデザイナーを引き受けたことは失敗だったと語っている。しかしマックイーンは自社株の大半をグッチグループに売却。これを機にLVMHグループとの関係が悪化し、ジバンシィを離れることになった。
2001-02年秋冬より、ジュリアン マクドナルドがオートクチュールとプレタポルテの4代目の主任デザイナーに就任。ファーストコレクションはオードリー・ヘップバーンとジバンシィの回顧展的な内容だった。
2003年12月、ジバンシィのメンズウェアラインのクリエイティヴ・ディレクターにオズワルド ボーテングが就任。(ボーテングは後に担当が代わり、コンサルタントになる)。
2005-06年秋冬より、リカルド ティッシがレディースウェアラインのクリエイティヴ・ディレクターに就任。その後、ティッシがメンズ・レディースともに手がけることになった。2008年、マドンナがワールドツアーにて、ジバンシィのドレスを着用して話題となる。
2017年、約12年間クリエイティブ・ディレクターを務めたリカルド ティッシが退任。後任として、元クロエのクレア ・ワイト・ ケラーが新アーティスティック・ディレクターに就任。ウィメンズ・メンズコレクション、アクセサリー、そして オートクチュールコレクションまで 全てのコレクションにおけるディレクターとなった。
2018年、創業者のユベール・ド・ジバンシィが死去。 91歳だった。
2019年6月、クレア ・ワイト・ ケラーが初めて本格的に手掛けた2020年春夏メンズコレクションを、フィレンツェで行われるピッティ・ウォモでゲスト・デザイナーとして発表する。
2020年4月、クレア ・ワイト・ ケラーが約3年間務めたアーティスティック・ディレクターを退任。
2018年にはサセックス公爵夫人のメ―ガン・マークルのウエディングドレスも手掛けた。ラストコレクションは2020-21年秋冬コレクションとなる。2020年6月、新クリエイティブ・ディレクターにマシュー・M・ウィリアムズ就任。ファーストコレクションを10月にパリで発表する。
2021年6月末をもって、パルファム ジバンシイのメイクアップ アンド カラー アーティスティック ディレクター、ニコラ・ドゥジェンヌが退任。二コラ・ドゥジェンヌは20年以上にわたってジバンシイのメイクアップ部門に携わってきた。
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2022-01-25 記事紹介 エルメス財団の「スキル・アカデミー」が“木”をテーマ に中高生向けワークショップの参加者を募集
WWDニュース 2022/01/25(三澤 和也氏)
エルメス財団が行う社会貢献プログラム「スキル・アカデミー」は1月22日、中高生向けのワークショップ「木に学ぶ、五感で考える Wood-Life Learning」の参加者募集をスタートした。学校教育に関わる人も対象とし、3月26~31日の期間に5つのプログラムを実施する。内容は文化財(仏像)の修復、木版画の制作、盆栽体験、街歩きでの植物探索などで、各回の定員は15人。
 同プログラムはフランスで2014年から企画・開催しており、自然素材にフォーカスし、素材にまつわるスキル(職人の技術など)の継承・普及を目指すもの。日本での初年度にあたる21~22年のテーマは“木”で、大きく2つの要素で構成される。1つ目は、書籍を通じて知識を広く共有することを目的とし、21年8月に講談社から「Savoir & Faire木」を発行した。そして2つ目が、今回募集する中高生向けのワークショップだ。
 ワークショップでは人間中心の時間軸ではなく、木が生まれて死ぬまでの長い時間に寄り添い、五感で考えることで、スキルをどう発展できるかを中高生が考える。各専門分野のプロと交流し、関心を広げ、スキルを育むための領域横断的視点や発想力を養うという。
 「スキル・アカデミー」はフランスで、14年に“木”、15年に“土”、17年に“金属”、19年に“布”、21年に“ガラス”をテーマに開催している。
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2022-01-24 記事紹介 「ディオール」が「ビルケンシュトック」との初のコラボ レーションを発表
WWDニュース 2022/01/22
WWD STAFF
キム・ジョーンズ(Kim Jones)が率いる「ディオール(DIOR)」のメンズは、パリで1月21日(現地時間)に発表した2022-23年秋冬メンズ・コレクションで「ビルケンシュトック(BIRKENSTOCK)」との初のコラボレーションとなるサンダルを発表した。日本での具体的な発売日や価格、購入方法は未定だ。
サンダルは、「ビルケンシュトック」のアイコンモデル“トキオ(TOKYO)”と“ミラノ(MILANO)”がベースの2型で、素材に使ったフェルトとスエードをどちらも「ディオール」の今シーズンのキーカラー“ディオール グレー”に染め上げている。アッパーには、キムの友人であり「ジバンシィ(GIVENCHY)」のクリエイティブ・ディレクターであるマシュー・M・ウィリアムズ(Matthew M. Williams)がデザインしたバックルが付く。アウトソールは「ディオール」の“ディオール オブリーク”と、「ビルケンシュトック」のボーンパターンを組み合わせた。さらに、パリの「アトリエ・ヴェルモン(ATELIER VERMONT)」による花の刺しゅうを施した“トキオ”も登場した。
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2022-01-23 記事紹介 カナダグースが初のフットウェアコレクション発売、 密閉ケースが付属
FASHIONSNAPニュース 2022年01月21日 17:18 JST
「カナダグース(CANADA GOOSE)」が、ブランド初となるフットウェアコレクション「ジャーニー ブーツ(JOURNEY BOOT)」を1月22日11時に発売する。カナダグース千駄ヶ谷店と公式オンラインストアで取り扱う。
 イタリア製のジャーニー ブーツは、アルプスで履かれているハイキングブーツからインスピレーションを得て製作。柔らかく耐久性のあるレザーを使用した。アッパーに防水メンブレンをラミネートし、快適な履き心地を実現したという。価格はウィメンズ、メンズともに税込9万2400円。シューズを保管するための限定版の密閉ケースが付属する。
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2022-01-22 記事紹介 「ミュウミュウ」が寅年を祝したTシャツを発売!タイガーマスクら人気キャラがデザインに
WWDニュース(竹内 菜奈氏)
「ミュウミュウ(MIU MIU)」は、新年を祝した「タイガー Tシャツコレクション」を発売した。一部店舗および公式オンラインストアで販売中だ。
コレクションは、アニメ作品に登場するトラのキャラクターや懐かしのヒーローに着目し、ディズニーアニメ「くまのプーさん」のティガーやティリータイガー、漫画家の辻なおきによる「タイガーマスク」、タイガーキー社の「タイガーガール」をデザインに取り入れた。
アイテムは、フィット感があるTシャツ(税込7万8100円)やオーバーサイズのTシャツ(同8万300円)、七分袖のラグランTシャツ(同8万3600円)、ボックスシルエットのロングスリーブTシャツ(同9万5700円)の4型をそろえる。
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2022-01-21 記事紹介 カール ラガーフェルド紹介
Karl Lagerfeldカール ラガーフェルド
カール・ラガーフェルドはフランスのファッションデザイナー。自身のブランドも展開したほか、長きにわたって カール ラガーフェルドは「シャネル」、「フェンディ」のデザイナーも担当していた。カール ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)。1938年 ドイツの北西部、ハンブルグに生まれる。
父が乳製品の事業で成功し、裕福な家計で育つ。子供のころから絵の才能に秀で、ファッションデザイナーに興味を持っていた。そんなカール ラガーフェルドの夢を叶えるために両親は彼をパリに送り出す。1952年、14歳で、パリに移住。パリではオートクチュール組合が経営する洋裁学校に入り、服作りの基礎を学ぶ。ここで一緒に学んでいたのがイヴ・サンローラン。1954年16歳の時に IWS(国際羊毛事務局)のコンクールのコート部門で優勝。(この時ドレス部門で優勝したのがサンローラン)17歳からピエール・バルマンのアシスタントをはじめ、20歳でジャン パトゥのアーティスティックディレクターと、オートクチュールメゾンで経験を積む。新しい時代の流れの中でオートクチュールの存在に疑問を感じ、イタリアに渡りフィレンツェで美術史を学ぶ。ここで建築、絵画、彫刻的な考えを学ぶ。イタリアからパリに戻り、フリーで活動をはじめる。始めの仕事はクロエで、その活躍が認められ、63年、創業者の任命により、ブランドのヘッドデザイナーに就任。65年、フェンディのデザイナーに就任。83年、シャネルのデザイナーに就任。84年、自身のブランド「カール ラガーフェルド」をスタート。86年、デ・ドール賞(金の指貫き賞)受賞。88年、マルティーヌ シットボンにクロエのデザイナーをバトンタッチするが、92年、再度デザイナーに復帰。結局クロエは5年間勤めた後、97年にステラ マッカートニーにバトンを渡す。
2004年にH&Mとコラボレーションで「Karl Lagerfeld for H&M」を展開し、大きな話題となる。
2005年、自身のブランドを、トミー ヒルフィガーに売却。2008年、TIME誌が選ぶ最も影響力がある100人にファッションデザイナーとしては唯一選出される。
2009年、レペットとのコラボレーションでフラット・サンダルとプラットフォーム・ヒールを発売。
さまざまなブランドで活躍し、トレンドセッターとしての地位を確立。シャネルでは服のデザインする以外にも、サングラス、バッグと人気商品を生み出した。2007S/Sコレクションを代表とするで白と黒を基調にしたミニスカート(ミニドレス)に大きなサイズのサングラスのスタイルは他ブランドにも大きな影響を与えた。
一時体重が100キロを超えていたがディオール オムの細身のスーツを着たいがためにダイエットに挑戦、13カ月で42キロの減量に成功した。ファッションデザイナーだけではなく、写真家としても有名。
2019年、パリにてカール・ラガーフェルド死去。
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2022-01-20 記事紹介 「ジバンシイ」新メイクアップクリエイティブディレクター にトム・ウォーカー ニコラ・ドゥジェンヌの後任
「ジバンシイ(GIVENCHY)」のジバンシイ メイクアップ クリエイティブ ディレクターに、トム・ウォーカー(Thom Walker)が1月19日付で就任した。ウォーカーは今後、新たなメイクアップコレクションを手掛けるほか、広告キャンペーンのクリエイティブを監修。また、ジバンシイ ビューティーにおけるスポークスマンとしての役割も兼任する。
 ウォーカーはイギリス北部出身。パリでメイクアップを学びキャリアをスタートさせた後に、フリーランスで活動。「i-D」や「Dazed and Confused」、イタリア、中国、イギリス版などの「VOGUE」といった雑誌でヴィジュアルを担当した。著名なフォトグラファーとのコラボレーションも多く、ニック・ナイト(Nick Knight)やリチャード・バーブリッジ(Richard Burbridge)、パオロ・ロベルシ(Paolo Roversi)らとの撮影にも参加。このほか、エマ・ワトソン(Emma Watson)やFKA ツイッグス(FKA Twigs)、ロザリア(Rosalía)などの女優、歌手のメイクアップも手掛けてきた。
 豊富な経験と実績を持つ新世代のメイクアップアーティストであるウォーカーは、多彩な才能でジバンシイ メゾンを魅了。斬新でカリスマティックなアプローチは、シャープでありながらパワフルだ。モードや建築をはじめとする様々な分野からインスピレーションを得て、光の効果や大胆な色彩のコントラストを自在に操ることで、性別を問わずに顔立ちをより美しく際立たせることに長けているという。
 エッジが効いた印象的なルックのクリエイターであると同時に、メイクアップ製品のイノベーションと開発プロセスのあらゆる側面に強い情熱を持つウォーカーは、「新メイクアップ クリエイティブ ディレクターとして、ジバンシイ ビューティー チームの一員として迎え入れられたことを、大変誇りに思います。私たちは、美しくも大胆なフェミニティ、エレガントで個性的なヴィジョンを共有しています。 ジバンシイのビューティー チームや世界中のメイクアップアーティストと協力し、クリエイティブな表現と新しい製品のイノベーションをもたらすことに貢献できることは、とてもエキサイティングなことだと思います」とコメントしている。
 パルファム ジバンシイの最高経営責任者であるローマン・スピッツァー(Romain Spitzer)は、「トムとのコラボレーションを心から楽しみにしています。ファッションシーンを知り尽くした彼の個性的なスタイルと、斬新かつナチュラルなメイクアップアプローチは、エレガントかつ大胆なジバンシイ ビューティーの世界と完璧にマッチしています。彼が今、ジバンシイのメイクアップにその才能と創造性を発揮して、グローバルな成功に貢献してくれることに、とても感激しています」と期待を寄せた。
なお、前任のニコラ・ドゥジェンヌ(Nicolas Degennes)は、1999年の就任以来、20年以上チームを牽引。2021年6月に同職を退任し、現在は自身の名前を冠にしたフレグランスブランド「ニコラ ドゥジェンヌ」を手掛けている。
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2022-01-19 記事紹介 「バレンシアガ」からパリや東京など特定の都市だけで限定 発売の新シリーズ 新作スニーカー“ファントム”も登場
WWDニュース(三澤 和也氏)
「バレンシアガ(BALENCIAGA)」は、特定の都市やそこに住む人、またその都市を愛する観光客に着想を得た“シティーシリーズ”を発表した。パリやロンドン、ニューヨーク、北京、東京など22都市からなり、パーカやトートバッグ、ベースボールキャップなどをそろえる。
 また同ブランドは、アスレチックシューズをベースとするメッシュ素材の新スニーカー“ファントム”も発売する。“シティーシリーズ”は、各都市の「バレンシアガ」ストアのみの展開となるが、“パリ”をテーマにしたアイテムと“ファントム”は世界中で販売する。
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2022-01-18 記事紹介 ロンシャン紹介
1948年、ジャン・キャスグランが創業。
ロンシャン(LONGCHAMP)はフランスのバッグ・アクセサリーなど中心に取り扱う高級ブランド。
1948年、フランスにてジャン・キャスグランが「ロンシャン(LONGCHAMP)」を創業。最初はパイプなど喫煙具のメーカーとしてスタート。
その後、バッグ、革小物の製造販売開を始めた。
75年、ハンドバッグのシリーズ「Veau Foulonne」を発表。93年、旅行バッグシリーズ「ル プリアージュ」を発表。ロンシャンのシンボルになり、ポーチ、テニスバッグなどにも広げていったほか、カスタマイズオーダーなどのサービスも行っている。99年、日本で初めての路面店「ロンシャン銀座本店」を出店。2002年、東京、青山に「ロンシャン表参道」をオープン。2005年、ジェレミー スコットとコラボレーションでバッグのシリーズを発表。
2009年、シャルル アナスタスとジェレミー スコット、ブレス(ドイツ)がロンシャンのバッグ「ル プリアージュ」限定版をデザイン。
2010年、ケイト・モスとのコラボレーションで、バッグコレクションである「ケイト・モス・フォー・ロンシャン(Kate Moss for LONGCHAMP)」を発表。
2014年春夏のイメージビジュアルからアレクサ・チャンを起用するなど、より若者へのアプローチを強めている。ジェレミー スコットとのコラボレーションは「ジェレミー スコット フォーロンシャン」として、定期的に発表されている。
2022-01-17 記事紹介 「エルメス」がリップスティック“ルージュ・エルメス” の22年春夏限定3色を2月1日に発売
WWDニュース(三澤 和也氏)
「エルメス(HERMES)」は2月1日、リップスティック“ルージュ・エルメス(ROUGE HERMES)”から、2022年春夏のリミテッドエディション3色を発売する。価格は各税込8800円で、リップスティック部分は交換可能。販路は「エルメス」のブティックと三越伊勢丹、阪急阪神百貨店のオンラインストアだ。
“画家の庭園”から着想を得て、「早春の朝に、空と太陽、きらめく水が作る色彩のハーモニーを表現」した。ケースデザインは、「エルメス」シューズ&ジュエリー部門のクリエイティブ
・ディレクターも務めるピエール・アルディ(Pierre Hardy)が手掛けた。ここでは「ポップなカラーと、はかなさを持つ印象派の絵画のニュアンスを組み合わせた」という。
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2022-01-16 記事紹介 サルヴァトーレフェラガモ紹介
1927年、サルヴァトーレ フェラガモが自身の名を冠したブランド「サルヴァトーレ フェラガモ」を設立。
サルヴァトーレ フェラガモ(Salvatore Ferragamo)はタリアカンパニア州アヴェッリーノ県ボニート生まれ。11歳で、靴屋を開業、15歳でアメリカに渡る。南カリフォルニア大学で解剖学を修び、足を痛めない靴を製作するための手法を身に着けた。靴の製作手法に関する数々の特許も取得している。靴職人としてのこだわりを強く持ち、履き心地のよい靴を信条とし、足に触るだけで、その人の体調が分かったと言われている。
アメリカではハリウッドスターを顧客にし「スターの靴職人」と名声を得る。顧客には、イングリッド・バーグマン、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、マレーネ・ディートリッヒ、ジュディ・ガーランド、キャサリン・ヘプバーンなどハリウッド大女優ばかりが名を連ねた。1927年、イタリアに帰国、フィレンツェでサルヴァトーレ フェラガモを開業。大恐慌の余波を受け33年一度倒産するが、王侯、貴族や有名人の顧客を獲得して復興を果たす。その後、甲部を透明なナイロン糸で作り、革命的と言われた「見えない靴」や、ウェッジ・ヒール、フラットフォーム・ソールの靴など次々と発表した。60年、サルヴァトーレ フェラガモが死去。


※ウエッジヒール…つま先が低く、かかと部分が高い、くさび型のかかとの靴。
彼の死後もブランド、フェラガモは、妻ワンダや子供たちに受け継がれ、67年には、次女のジョバンナ中心となり、レディス、メンズのプレタポルテをスタート。現在では、バッグ、財布、香水なども含めた、トータルファッションブランドとなっている。
2000年秋冬シーズンより、セルッティ、エルメス、トラサルディなどで活躍したマーク・オディベがレディスのデザインを担当。その後、2003年春夏シーズンからは、アルマーニで経験を積んだグレエム ブラックがデザイナーに就任した。
2007年、グレエム ブラックが自身のブランドに専念するためうデザイナーを辞任。後任として、クリスティーナ オルティスがチーフ・デザイナーに就任した。メンズラインはマッシミリアーノ・ジョルネッティが手がけている。2010年秋冬シーズンよりマッシミリアーノ・ジョルネッティがレディース部門のデザインも担当することが決定。
2009年、ヨウジヤマモトとコラボレーションでシューズを発売。
2016年、ウィメンズシューズのデザイン・ディレクターとして、ポール アンドリューが就任。 同年11月17日、ギョーム・メイアン(Guillaume Meilland)がメンズウェアのデザイン・ディレクターに就任。2017年春夏ウィメンズコレクションでデビューを飾ったウィメンズ、レディ・トゥ・ウェアのデザイン・ディレクターであるフルヴィオ・リゴーニ(Fulvio Rigoni)とともに、3人のデザイナーによるクリエイティブ部門が完成した。
ギョーム・メイアンは、ルイ・ヴィトンメンズウェアで2002年にキャリアをスタートさせ、2007年にイブ・サンローランのメンズスポーツウェアデザインを引き継ぎ、翌年10月にランバンのメンズウェア シニアデザイナーに選ばれている。フルヴィオ・リゴーニは、2016年9月、2017年ウィメンズ春夏コレクションのファッションショーで、グループの新しいウィメンズウェアのデザイン・ディレクターに就任。イタリア生まれで国際的に活躍し、サルヴァトーレフェラガモに入社する前には、プラダ、グッチ、ジル サンダー、ディオールなどで活躍していきた。
2017年、ポール・アンドリューをウィメンズコレクションのクリエイティブ・ ディレクターに就任。
2018-19秋冬コレクションよりデビュー。2019年2月、ウィメンズ部門のクリエイティブディレクターのポール・アンドリューがブランド「サルヴァトーレ フェラガモ」全体のクリエイティブ ディレクターに就任。
2021年4月、ポール・アンドリューが退任。当面の間は、既存の社内 デザインチームによってフェラガモのコレクションやデザインディレクションは監修される。サルヴァトーレ フェラガモのデザイナープロフィールポール・アンドリュー(Paul Andrew)は、2016年9月にウィメンズ・シューズの新しいデザイン・ディレクターに指名され、2017年プレフォールコレクションでデビュー。2013年には、自身の名を冠したブランドを創設し、すぐに業界において、その高いクリエイティブ力で知られるようになる。
2014年には CFDAとVOGUEが共催するファッション基金アワードで、シューズデザイナーとして初めてグランプリを受賞。2017年、ポール・アンドリューをウィメンズコレクションのクリエイティブ・ ディレクターに就任。シューズ、ウェア、アクセサリーなど全てを統括することになった。
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2022-01-15 記事紹介 グッチ×ザ・ノース・フェイス第2弾、90年代のデザインを 再解釈したダウンジャケットなど発売
「グッチ(GUCCI)」が、「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」とのコラボレーションコレクション第2弾を発売した。グッチショップとグッチ公式オンラインショップで取り扱っている。また、1月19日に追加アイテムの発売を予定している。
グッチとザ・ノース・フェイスによるコラボコレクション発売、GGパターンのダウンやバックパックをラインナップ


第2弾はメンズとウィメンズのウェア、アクセサリー、シューズやバックパックなどで構

成。ウェアは、ベージュやグリーンをベースにグッチを象徴するGGパターンをあしらった

グースフェザーダウンジャケット、オーバーオール、コラボロゴを配したスウェットなど

をラインナップしている。このほか、ザ・ノース・フェイスが1968年に発売したオリジナ

ルのデイパックを復刻したアイテムや、レザーとGGキャンバスを組み合わせたアウトドア

用ハイキングブーツなどが揃う。

 1月19日からは、1990年代のザ・ノース・フェイスのデザインをグッチの美学に基づいて

再解釈したアイテムを展開。山の風景や森のパターン、フラワーデザインなどを落とし込ん

だダウンベスト 、ボンバージャケット、ダウンジャケットをラインナップする。
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2022-01-14 記事紹介 「バレンシアガ」が寅年を記念した新作コレクションを発売 新作
WWDニュース(竹内 菜奈氏)
「バレンシアガ(BALENCIAGA)」は、今年の干支である寅に焦点を当てたコレクション“バレンシアガ イヤー オブ ザ タイガー(Balenciaga Year of the Tiger)”を発売した。同ブランドの一部直営店と公式オンラインストアで取り扱う。
コレクションは、メンズやウィメンズ、キッズのプレタポルテに加えて、バッグやシューズ、アクセサリー、ジュエリーで構成。オレンジのタイガーストライプをあしらったジップアップジャケット(税込24万2000円)やニット(同15万4000円)、シャツ(同17万8200円)などを用意する。
またスポーツに着想した吠えるトラモチーフを、パーカ(同10万3400円)やTシャツ(同6万7100円)、キャップ(同4万9500円)、キャッシュカードケース(同4万6200円)などに配した。
キャンペーンビジュアルは、2020年プレ・フォール・コレクションの広告ビジュアルも撮影したフォトグラファーのクリス・マッジョ(Chris Maggio)が担当。ある角度から見ると1人のモデルが2人いるような錯覚風の演出で、独特の世界観を表現した。
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2022-01-13 記事紹介 タトラス紹介
「タトラス(TATRAS)」はイタリア・ミラノを拠点としたファッションブランド。イタリア以外にポーランド、日本のコーポレートブランドとして活動している。
イタリアのデザインチーム、フリーランスで活躍するメンバー等によってタトラスのアイテムが生み出されている。タトラスのアイテムで特に有名・人気なのはダウンジャケット。タトラスのダウンは、世界的にも高品質で知られるポーランド産のホワイトグースを使用している。イタリア・ミラノに直営店を構える。その他は世界の有名セレクトショップで取扱われている。日本でも多くのセレクトショップで取扱いがあり、エストネーション等で限定アイテムを発表したりと、コラボレーションにも積極的。
2013-14AWシーズンより、ワンランク上のラグジュアリーなコレクション「TATRAS R LINE」をスタート。Reliable(信頼性のある)、Reinforce(強化する)、Revolution(革命)、Robust(こくのある)、Radiant(輝かしい)等の「R」を頭文字とするワードをコンセプトに掲げる。イタリアで同じくダウンジャケットが有名なブランドに「デュベティカ(DUVETICA)」がある。
2018-19年、日本の伝統工芸を取り入れた新ブランド「リヴィール プロジェクト(REVEAL PROJECT)」をスタート。フランス・パリでデビューコレクションを発表し、2018年4月京都・二条城でプレゼンテーションを開催。
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2022-01-12 記事紹介 「ジョルジオ アルマーニ」×ディエチ コルソ コモのカプ セルコレクション 伊勢丹新宿などで発売
WWDニュース(三澤 和也氏)
「ジョルジオ アルマーニ(GIORGIO ARMANI)」はイタリア・ミラノのセレクトショップ、ディエチ コルソ コモ(10 CORSO COMO)とコラボレーションしたカプセルコレクションを1月12~18日の期間、伊勢丹新宿本店本館3階(センターパーク/プロモーション)で、販売する。合わせて、一部の「ジョルジオ アルマーニ」ブティックとオフィシャルサイトでも取り扱う。
同カプセルコレクションは、1980年代の「ジョルジオ アルマーニ」の広告ビジュアルに着想を得てデザインしたものでジャケット、シャツ、コートなどをブラック&ホワイトで統一。さらにレースアップシューズやハイヒール、「ジョルジオ アルマーニ」のアイコンバッグである“ジョルジオ アルマーニ ラ プリマ”などのアクセサリー類もそろえ、計24点をラインアップする。シルク、ベルベット、サテン、カシミヤと素材を使い分け、ブラック&ホワイトを単調に見せていないのもポイントだ。
価格はジャケットが税込36万3000円、コートが66万円、バッグが25万3000円など。
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2022-01-11 記事紹介 モンクレール(MONCLER)紹介
モンクレール(MONCLER)はレネ・ラミヨンとアンドレ・バンサンが、1952年、フランス・グルノーブル郊外のモネステ・ド・クレァモン(Monestier de Clermont)にて設立。
モンクレール(MONCLER)はフランスの高級ダウンウェアブランド。現在では高品質に加えファッション性の強いブランド展開をしており、プレミアムダウンウェアとしての地位を確立。
ヨーロッパをはじめとする上流階級の支持を得ている。
ブランド名は「モネステ・ド・クレァモン:Monestier de Clermont」の文字を組み合わせた造語。もともとはテントやシェラフ、ウェアといった登山家のための装備を手掛ける企業だった。ダウンウェアの原型は工場で働くスタッフの防寒用に作製した手足を出せるシェラフから生まれた。
モンクレールはレネ・ラミヨンとアンドレ・バンサンが1952年に創業。
ブランドとしての大きな成長はリオネル・テレイをアドバイザーにむかえたことがきっかけとなる。フランス人として初めてヒマラヤ登頂に成功した世界的アルピニスト(登山家)のリオネル・テレイをアドバイザーに向かえ、登山家によりよいダウンウェアを作るための製品改良に着手。
アルピニストにとってはしっかりと動け、保温力に優れた装備は必要不可欠なもので、最高峰の登山の成功、生死に関わる問題だったのだ。
モンクレールはこうしての登山家のニーズに答えるべく製品の改良を繰り返した。モンクレールの製品を54年、イタリアのカラコラム登頂隊、64年、アラスカ遠征隊に提供しモンクレールはブランドとしての信頼を勝ち得た。
1960年代前半、登山用ダウンウェアで培ったノウハウを応用し、スキーウェアにも進出。スキーウェア製品としても一般的に認知されるようになる。これがきっかけとなり、1968年のグルノーブルオリンピックでは、フランスナショナルチームの公式ウェアにモンクレールのウェアが選ばれる。
1980年代、セレクトショップなどでモンクレールのダウンジャケットが置かれるようになる。その保温性と高品質なダウンジャケットは徐々にファッションアイテムとしての人気を博してゆく。この頃、特に人気となったのがイタリアで、現在でもモンクレールの売上の約半分はイタリアでの売上によるもの。製品展開も徐々に増やし、ダウンの他にポロシャツ、などスポーティなウェアも発表。
90年代後半からファッション性のある、高級志向的なものに変えるブランドとしての改革が始まる。バレンシアガ(2005年)、ジュンヤワタナベ(2004年~現在)などのブランドとコラボレーションを展開。ダウンウェアでありながら細いきれいなシルエットに見えるもの、カラフルなデザイン、レザーなどを使用した製品を出している。モンクレールでデザインをしていた、ジャンピエロ・バリアーノが独立してデュベティカを設立して活躍。同じダウンジャケットでモンクレールと比較されるまでになった。
2006年、モンクレールの最高級ラインとして新ブランド、ガム ルージュを発表。アレッサンドラ・ファッキネッティを経て、ジャンバティスタ ヴァリがデザインを担当している。
2008年、トム ブラウンを迎えて新ライン「Gamme Bleu(ガム ブルー)」のスタートが発表される。このライン名はフランス語で青ラインを意味し、赤いラインを意味するガム ルージュのメンズ版となる。
2009年、sacaiのデザイナー阿部千登勢が手掛けるコラボレーションライン「MONCLER S(モンクレール エス)」を発表。2010年春夏シーズンから2012-13年秋冬コレクションまで展開した。
2010年、Moncler Grenoble(モンクレール グルノーブル)を発表。このラインの名前は1952年にモンクレールを創設したフランスの村名が由来で、スキーウェア、シティウェアなどで構成されている。
2010-11年秋冬より、visvim(ビズビム)のデザイナー中村ヒロキが手掛ける「MONCLER V(モンクレール ブイ)」がスタート。2013年、ホワイトマウンテニアリング 相澤陽介のデザインする「MONCLER W」を発表。2014年、ミハラヤスヒロとのコラボで「モンクレール Y」を発表。2016年、オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブローとコラボで「モンクレール O」を発表。2017年、グレッグ・ローレンとコラボで解体と再構築によるダウン約200型を発表。2018年春夏コレクションをもってモンクレールはモンクレール ガム・ルージュとモンクレール ガム・ブルーが終了することを発表。2018年、モンクレール ジーニアス(MONCLER GENIUS)始動。世界から8人のファッションデザイナーを迎え、8つのコレクションを発表する。ファーストコレクションでは、ヴァレンティノのピエールパオロ・ピッチョーリ、シモーネ ロシャのシモーネ・ロシャ、パーム・エンジェルスのフランチェスコ・ラガッツィ、フラグメントの藤原ヒロシ、ノワール ケイ ニノミヤの二宮啓、クレイグ グリーン、サンドロ・マンドリーノ、キュレーターとしてカール・テンプラーが参加。
2019年7月、ブランド初の試みとなるイノベーションプロジェクト「ハッカソン(HACKATHON)」をミラノで開催。世界のエンプロイ450名を集め、デジタルにフォーカスした、革新的なアイディアを24時間にわたって交換し合う場を提供した。2021年、6月より新設されるチーフ・ブランド・オフィサーのポジションにジーノ・フィサノッティが就任。ジーノはナイキに23年間勤務し、直近ではナイキ初のブランド・クリエイティブ・オフィサーを務めた。
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2022-01-10 記事紹介 CHANEL紹介
1909年、ガブリエル・シャネル(通称、ココシャネル)がブランド「シャネル」を設立。
シャネルの創立者、ガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel)は1883年、フランス南西部ソーミュールに生まれる。父は行商人。母親が他界し、家族は方々に散り、シャネルは孤児院や修道院で育った。
シャネルの打ち出すファッションは、モノトーンな色が中心だが、それは修道院で黒などべーシックな服を着用していたからと言われている。ちなみに修道院の規律正しい生活の中で、シャネルはお針子としての技術を身につけている。
1905年、踊り子(歌手)を目指しキャバレーで歌う仕事に就く。美しさも兼ね備えたシャネルは、店の人気者となり、ミドルネーム、ココと呼ばれて親しまれた。
これがココ・シャネル(CC)の由来で、有名なモノグラムに繋がる。歌手をした時期に出会った、ブルジョワ出身の青年将校の愛人となり、その青年将校の出資で、1909年に帽子店を開業。
1910年、カンボン通り21番地に帽子店「シャネル モード」をオープン。その後も、シャネルはブランドの初期段階で、恋人から出資を受けて事業を拡大していく。装飾が多い帽子の多い中、シャネルのシンプルなデザインは多くの注目を集めた。帽子から衣服など徐々に展開を広げる。
過去の成功したデザイナーは皇室、女優などの影響力を利用してスタイルを提案していくことが多かったが、シャネルの場合は、その美貌と女性として持っていたカリスマ性、活動的な性格、生き方など自分自身がブランドの広告塔となった。1913年、フランスのドーヴィル(DEAUVILLE)に新店舗を構える。1915年、フランスのピアリッツ(Biarritz)に初めてのクチュールハウスを出店。1918年、パリのカンボン通り31番地にクチュールハウスをオープン。1919年、クチュリエとしてオートクチュールのコレクションを発表。シックで着心地の良さを追求し、シンプル&エレガンスを追求する。そのシンプルさは、彼女の考える女性の解放であり、女性のスタイルだった。
シャネルは「コルセットから解放した」という指摘が多いが、コルセットを外すスタイルは、ポール ポワレ、ランバンなどがすでに始めており、シャネルが先陣をきったわけではない。ただし機能的な側面を考えると、シャネルやジャン パトゥなどの功績は大きく、そのファッション哲学は女性の社会進出の先駆けとなった。
身軽で動きやすい服を求めて、男性用の下着に使われていたジャージー素材にを取り入れたり、紳士ものであるツイード素材を女性用スーツに仕立て、女性がパンツを履くスタイルなどを提案した。
シャネルはまた、喪服でしかなかった黒をファッションの色として取り入れたが、このことに関して、「きらきらした衣装を作るのは簡単でも、リトルブラックドレスを作るのは難しい」と語っている。その他、ベージュ色を好み、「本当の大地の色」として、ジャージのスーツに織り込む。
1921年、オードゥ・パルファムNO.5が登場。名前の由来は、番号が付けられた実験ボトルが並ぶ研究室で、シャネルが5番目のサンプルを取り上げ「これにするわ」と言ったため。こうして世界の香水ベストセラーとなる「NO.5」が生まれた。
その他、現在に至ってシャネルは口紅など化粧品でも有名なブランドだが、当時、シャネル自身が「メイクに光を」と語るほど、化粧品の開発に熱心だった。
ちなみに、シャネルの服を取り上げる上でキーワードとなる、シンプル、エレガンス、実用的な服は、40年代後半のディオールのニュールックと対照的であった。
1924年、最初のメークアップ コレクションを発表。同年、フレグランス、ビューティ製品を扱う香水の専門店「ソシエテ・デ・パルファン・シャネル」を設立。
1926年、「リトル ブラック ドレス」を発表。シンプルを追い求めたスタイルで、ファッション界に革命をもたらした。1939年、第2次世界大戦が近づくと、ココは自らの店を閉め、クチュール界から引退するが、53年、シャネルはかつての助手たちに「今すぐ、来るように。私たちはあと10年しか働けないのだから」と電報を打って再びファッションの世界に復帰。
こうして、54年、シャネルがオートクチュールに復活。復帰はクリスチャン ディオールのニュールックをはじめとするスタイルが、女性解放とはかけ離れたものであることに反する形でのカムバックとの説もあるが、定かではない。64年秋冬の「パンタロン・ルック」などシャネルはスーツを中心に、シンプルで着易い服を提案した。戦前のころと同様の、黒のテーラードスーツをメインにしたコレクションはファッションジャーナリストからは「過去のシャネルと変化なく、期待はずれ」と評価されたが、アメリカでは好評を得た。当時のアメリカは、すでに既製服が影響力を持ち出しており、実用的、機能的なデザインにシフトしつつあったからと言われている。
71年、シャネルが他界。シャネルの死後、ブランドはやや低迷した。ブランドを救ったのがカール ラガーフェルド。彼は83年からシャネルのオートクチュール、84年にはプレタポルテを担当し、数年で、シャネルの売上は大きく伸びた。ブランドのラインナップとしても、時計や香水のラインを増やしていき、「シャネルのエスプリ」のキャッチフレーズで有名な、「ココ」、その他、「アリュール」、「ココ・マドモアゼル」、「チャンス」など現在でも人気の香水を発売していく。
こうしてシャネルはトレンドセッターとしての地位を確立。服のデザイン以外にも、サングラス、バッグなどが人気商品になった。2000年代に入ってもその地位は揺るがず、2007S/Sコレクションで発表した白と黒を基調にしたミニスカート(ミニドレス)に大きなサイズのサングラスのスタイルは他ブランドにも大きな影響を与えた。
2008年、シャネルのアート・プロジェクトで、世界を巡回するアート展覧会「モバイルアート(MOBILE ART)」が、東京代々木競技場オリンピックプラザの特設会場で開催される。
2012年3月、日本で初のオートクチュールショーを開催。新宿御苑の特設会場にパリで発表されたオートクチュールコレクションと同様のセットを設置。飛行機のキャビンの中にいるような演出の中、2012-13AWオートクチュールコレクションが披露された。
ヘアはサム・マックナイトと日本の加茂克也が担当。モデルもパリのショーでおなじみのステラ・テナント、リンジー・ウィクソンらが登場。会場にはバネッサ・パラディやサラ・ジェシカ・パーカー、安室奈美恵なども招待された。
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2022-01-09 記事紹介 ベルルッティ紹介
1895年に、スーリエベルルッティが靴専門のブランド、ベルルッティを創業。
ベルルッティについてベルルッティ(Berluti)はフランスの高級紳士靴ブランド。靴のほか、アパレル、アクセサリーのラインも展開、バッグ、ベルト、財布、手帳など幅広く展開している。
ベネチアンレザーという革にさまざまな色を塗り重ねる技法を開発し、深みのある独特な色つやをだす。ブランドの起源は、イタリアの指物師だったアレッサンドロ・ベルルッティが、靴作りを学んだ後に、サーカス団の靴や道具類を作りながらヨーロッパ各地を回ってパリに到着し、1895年に、紳士靴工房を開いたところに遡る。
アーティスティクな雰囲気の靴が、ジャン・コクトー、エディット・ピアフ、ランソワ・トリュフォー、アンディー・ウォーホル、イブ・サンローランなどを魅了した。
1959年、シューズのプレタポルテ(既製品)のラインを発表。創業一族の4代目で、アートディレクターに就任した、オルガ・ベルルッティがブランドを改革。これまでタブーとされてきた色使いなど、女性ならではの斬新なアイデアを取り入れる。これまでの色使いの質をキープしつつ、グレー、黄色、緑などこれまでにないカラーを使用した。この彩色技術は「パティーヌ」と名付けられた。
月の色の移りかわりにインスピレーションを得て考案した、深みのある色彩表現と高く評価されている。
2005年からレザーの技術を応用してバッグのラインもスタートさせる。始めのコレクションは、ビジネス用と旅行用の計6種類を用意し、カラーは黒と茶であった。バッグは、レザーを使用しつつも、非常に軽く、持ち運びに便利な点が人気となっている。現在はルイ・ヴィトン、エミリオ・プッチ、トーマスピンクなどを傘下に置くLVMHのグループに属する。2011年にメゾンのアーティスティック・ディレクションの職にアレッサンドロ・サルトリ(Alessandro Sartori)が就く。
2016年、アーティスティック・ディレクターであるアレッサンドロ・サルトリが退任。2016-17年秋冬メンズコレクションが彼の最後のショーとなった。同年、ベルルッティの新クリエイティブ・ディレクターにハイダー アッカーマンが就任。2018年、ハイダー・アッカーマンがベルルッティを退任。それに伴い、クリスヴァンアッシュが新クリエイティブ・ディレクターに就任。ファーストコレクションは2019年1月のパリメンズコレクションで発表される。2021年、クリス・ヴァン・アッシュがアーティスティック・ディレクターを退任。
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2022-01-08 記事紹介 「ロエベ(LOEWE)」は、スタジオジブリの映画「千と千尋の神隠し」とコラボレーション したカプセルコレクションを1月7日に発売
「ロエベ(LOEWE)」は、スタジオジブリの映画「千と千尋の神隠し」とコラボレーションしたカプセルコレクションを1月7日に発売する。全国の店舗と公式オンラインストアのほか、東京・原宿に1月7~16日の10日間限定でオープンする完全予約制のポップアップストア、阪急うめだ本店に5日間限定でオープンするポップアップストアでも取り扱う。

「ロエベ」とスタジオジブリのコラボは、2021年1月に発売した映画「となりのトトロ」とのカプセルコレクション以来2度目。今回は主人公の千尋をはじめ、ハクや湯婆婆、カオナシといった主要キャラクターと美しい自然背景にフィーチャーし、ジャカードやプリント、刺しゅうなどの多種多様な手法で「ロエベ」のアイテムに落とし込んだ。アイテムは“パズル バッグ”や“ハンモック バッグ”といったアイコンバッグから、レザー小物、オーバーサイズのジャンパー、フード付きスエットシャツ、パッチワークシャツ、Tシャツ、ブランケット、スカーフまで100種類以上にのぼる。ジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)=「ロエベ」クリエイティブ・ディレクターは「スタジオジブリは、ストーリーを生み出す力と、それを形にするための労を惜しまない手作業へのこだわりを持っている。クラフトの可能性を信じる心は、『ロエベ』も大切に育んできたもの。そこに私たちのつながりがあり、カプセルコレクションの第2弾を発表することになった。
『千と千尋の神隠し』は、逆境に面した際の忠誠心や友情、そして頑なさへの讃歌であり、ある種の魔法のような力を持った作品だ」とコメントを寄せている。発売に先駆け、6日にはポップアップストアを開催する「アンノン原宿」で関係者を招いた内覧会を行った。「アンノン原宿」は古⺠家をリノベーションしたイベントスペースで、会場外には作中の油屋を思わせる赤い提灯が掲揚。屋内では油屋の前に架る赤い橋とオオトリさまが来訪
者を出迎え、カプセルコレクションやスタジオジブリから提供された展示物が並ぶ。さらに、天井には無数の人形(ひとがた)が舞い、海原電鉄の座席をモチーフとしたフォトスポットも設けるなど、映画の世界観に浸りながら買い物が楽しめる空間だ。内覧会には多くの著名人も訪れ、女優の夏木マリは銭婆のオーバーサイズTシャツを、モデルのモトーラ世理奈は千尋のロングスリーブTシャツを、俳優の桜田通はカオナシのオーバーサイズシャツを着用していた。なお本コレクションの購入者には、湯札がモチーフのスクラッチカードを配布し、抽選でスタジオジブリ・プロデューサー鈴木敏夫が描き下ろしたカオナシのTシャツがプレゼントされる。

■「ロエベ」×「千と千尋の神隠し」ポップアップストア
会期:1月7日~16日
場所:「アンノン原宿」
住所:東京都渋谷区神宮前6-5-10
詳しくはこちら
2022-01-08 NewOpen サイトオープン致しました!!

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